何かを選ばなければならない局面というのは、考えようによっては何よりも恐ろしい瞬間なのかも知れない。特に、数ある中から何か、他人のための何かを選ぶということは、何度繰り返しても俺にとっては本当に耐え難いことだ。けれど、自分のために選ぶことは問題ないのかといえばそんなことはなくて、結局、俺は何かを“選ぶ”ということが根本的に苦手だ。
(選びたい道があったとして、どうしても選びたいものがあったとして……それを、)
 俺たちが生きている世界というのは、あるいは、俺たちが選ばなかった日々の、無残な残骸の上に成り立っているようなものだと思う。とうに過ぎ去った日のある一瞬に、たとえば違う道を選んでいたとしたらありえなかったかも知れない今のこの瞬間は、きっと得難い幸福の可能性であるとともに、ひどい痛みの可能性をも孕んだ歪んだ未来のひとつだ。かといって、選ばなかった未来が幸福への道であるという道理はどこにもなくて、むしろ、はじめからそんなものはなかったのだと信じていたほうが、いつか来る日の痛みとか哀しみは少なくて済むのかも知れない。
(選ぶことが可能か、許されるのかなんてことは、いつだってまったく別の問題だ。今更、)
 この世界は、偶然と必然の不自然な集合体だ。その中にあって、痛みや哀しみといった負のベクトルはどうしたって歴然と静かにただそこにある。それこそがきっと一番の恐怖で、同時に何よりも安心できる絶対の形で、きっといつまでも手離すことのできない、唯一絶対に極めて近いものなのだと、思う。
(そんなもの、どうってことない。俺は選ばないのだから)
 何かを選んだ瞬間、俺たちの生きる世界は簡単に形を変える。その選択が自分のためでなかったとしたならば、良くも悪くも、自分にとっての世界のみならず、誰か、自分でない存在にとっての世界までも形を変えてしまう。それはどうしたって恐怖だ。未来はいくらでも選ぶことができるけれど、ある一点で選ばなかった未来は、選んでしまった未来を描くためにうしなわれなければならない。
(……けれど、あいつがもし、選んだなら、)
 選ぶことは苦手だ。だからいっそ、数ある選択肢の中から、俺とかかわったあらゆる人が各々の未来を選び取ったあと、さいごに残ったひとつを拾い上げることができればいいのに。
(突きつけてくれればいい。これが、俺の未来なんだと)
 そうすればきっと、何も怖くない。






(もう戻れない5のお題/03.たとえば二者択一)
Hello, my future.