そこにいてくれるという、ただそれだけ。
どうしようもなくそれが幸せ。










 ノックをしても返事がないので躊躇いがちにドアを開けた。
 先刻細く開けた窓から流れ込む風がカーテンを揺らし、カーペットの上に落ちる影が不規則にその形を変えるのをかごめはしばしの間見つめていた。
「……」
 滅多に使わない客間に家具は少ない。
 シンプルなベッドとチェストが一つずつと、イミテーションの植物の鉢植え。
 壁にかけてあった時計は随分前に外してしまったし、造りつけのクロゼットの中はいつも空っぽだ。
 しかし、今は。
「…カジカさん、」
 小さく声をかけて、ベッド脇の小さなテーブルに持っていたマグカップを置く。
 うっすらと立ち上る湯気が一瞬、甘い香りと一緒に揺れた。
 カジカは呼びかけに応えず目を閉じたまま。
 眠っているのか、と思い、そっとその額に手を当てる。
「…熱い…」
 数日前に帰ってきた時に、少し風邪っぽいと言っていたカジカは案の定昨夜熱を出した。
 疲労も相まったのか熱は半日以上経った今になっても下がる気配を見せず、触れた額にはじっとりと汗が滲んでいる。
 呼吸は落ち着いているが、頬は赤い。
「…どうしよう」
 起こさない方がいいかとも思うが、このままでいいとも思えない。
 昨夜から何も食べていないのだから少しでも食べた方がいいだろうし、汗をかいているのだから着替えもするべきだ。
 薬は飲むだろうか、とか、何か欲しいものはないか、とか。
 眠ったままのカジカに問うても返事はない。
 どうしよう、ともう一度呟く。
「…カジカさん、…」
「…ん……」
 もう一度呼べば僅かに身じろぎをした。
 起こしてしまっただろうか、と思い顔を覗き込む。
 そうすれば丁度、かち合うようにカジカがうっすらと目を開けた。
「…かごめちゃん…?」
「カジカさん…起きられる?」
「うん…多分…」
 ゆっくりと身体を起こし、カジカはかごめの方を見て少し微笑う。
「ちょっとくらくらするけど…昨日よりはマシ、かな。心配かけてゴメンね」
「…そんな事…」
 胸の前で両手を組み合わせてかごめは俯く。
 いざとなると何を言えばいいのか判らない。
 つい、とテーブルに目をやる。
 そこには、先刻置いたマグカップ。
「あ…あの、」
「ん?」
「何か…食べられそうなら作ってくるから…これ、」
 これ、と言ってマグカップを指す。
 少し冷めてしまったのか、もう殆ど湯気は立っていない。
「何がいいか判らなかったんだけど、よかったら…」
 かごめの言葉の合間にカップを手に取り、中身を見る。
 ふわ、と微かな香りが宙に散った。
「レモネード?」
「うん…」
「ありがとう」
 こくん、と一口嚥下してカジカは微笑う。
 全身に染み渡っていく感覚。
 心地いい、と思う。全てが。
「ありがとう」
 もう一度そう呟けば、今度はつられるようにしてかごめも微笑った。




  切り取った日常の欠片。
  それはあまりにもいとおしい瞬間。










[ おまけ ]

「かごめちゃんの手、冷たいんだね」
「え…?」
「さっき、冷たくて気持ちよかったよ」
「お…起きていたの…?」
「丁度起きたんだよ」
「…言ってくれればいいのに…」
「うん…ゴメンね?」
「…もう…」
















(檸檬水)


お友達からリクエスト、風邪っ引きカジカさんと看病するかごめちゃん。
結局この二人はラブいのです…という事で、オチはありませんが、ほのぼの。