「死ぬなら冬がいいけれど、結婚するのは雨の日がいい」

 部屋に入った途端に飛んできたそんな言葉に、気付かれない程度の溜息をついた。
 室内の彼女は酷く退屈そうで、窓際に置いた椅子に座って外を見ていた。
 季節は6月の梅雨只中、天気はつい先刻まで霧雨が舞っていたけれど今は薄日が差している。
 梅雨らしい天気といえばそうだけれど、所謂「雨の日」とは言いがたい天気だ。
「雨が降ればいいのに」
「そういうことばっかり言ってるから晴れてくるんだよ」
「大体、梅雨なんだからもっと景気よく降って欲しい。どうせなら」
「世間一般はそう思ってないよ」
「関係ない、そんなの」
 梅雨の中休み、束の間の晴れ間。
 そんな風に形容され、歓迎されるはずの好天も、雨を好む彼女にはどうやらいっそ疎ましくすらあるようだ。
 室内へ一歩足を進め、後ろ手にドアを閉める。
 彼女は振り向かない。
「こんな所で油売ってていいの?」
「今すぐ雨が降ってくれば問題ない」
「そんな仮定の話じゃなくて、」
「いいの。……わかってる、でも……雨が降ればいいのに、って」
「……雨天中止じゃないよ」
「知ってる」
 振り返り、ドレスの裾を翻しながら、彼女は立ち上がると流れるように俺に三歩近づいた。
 見慣れない、着飾った彼女。
 まるで他人のような、彼女。
「雨が降らないので結婚しません、って、置手紙でもして逃げ出したい」
「そう言うと思ったから止めにきた」
「酷い」
「長い付き合いだから、考えそうなことくらいわかる」
「………なら、最初っから私が望んでなかったってことも、知ってた?」
「知ってた。……でも、やめる気がないってことも、知ってる」
 彼女はドレスの裾を握り締めて、けれどその両の手以外には何の感情も滲ませないままに目を伏せた。
 丹念に施されたメイクによって、もともと長い睫毛がまばたきのたびに艶やかに揺れる。
 雨が降ればいいのに。
 雨が降って、見慣れない彼女のメイクと一緒に、彼女が持て余す感情をも流してくれればいいのに。
「……まるで他人になるみたいだ」
「ばか。頼まれたってそれは無理よ」
「うん、でも、これまでとは同じじゃないよ」
「あんたも早く結婚すれば」
 言いながら彼女は少し笑って、握り締めていたドレスの裾を離した。
 俺は相変わらずばかみたいに立ち尽くしたまま彼女を見て、彼女が俺を見ないことに少しだけ安堵した。
 窓の外は少しずつ翳り始めていて、吹き込む風からは色濃い雨のにおいがする。
 それは彼女も感じ取っているようで、安堵のような諦念のような、相反する感情がない交ぜになったような表情をしていた。
 先刻までのような霧雨ではなく、大粒の、叩きつけるような雨が降ればいい。

「………結婚おめでとう、姉さん」

 掠れた声で小さく呟いて、俺は姉さんの返事を聞かずに部屋を出た。
 これからもずっと姉弟であり続けるのに、こんな風に話すことができるのはこれが最後のような気がした。








(017.六月の花嫁)




何とないセンチメンタルな感じが出したかったはずが、着地点がとんでもなくずれました。