季節外れの雪が降った日と、僕が彼女からの最初で最後の便りを受け取ったのは確か同じ日だった。
 薄い空色の封筒の中にはB5サイズのルーズリーフが一枚と、恐らく不要になった連絡プリントの切れ端と思しき紙の切れ端が三枚。
 普通なら訝しむべき所なのだろうが、僕にとって彼女はまさしくそういう人間だった。
 型に嵌った事を嫌う……というより、自分のいいように行った物事が往々にして、世間一般の"普通"とかけ離れている、というただそれだけなのだけれど。
 とにかく僕は、当時、その手紙をそれこそ暗記するほど繰り返し読んだ。
 彼女の字は整ってはいるが癖があり、一目見ればそれと判るようなものだ。
 そういう意味でそれはまさしく彼女からの手紙であり、また手紙であるというには余りにも異質なものであった。
 切れ端の方は、一見して判る通り単なるメモ用紙のようなもので、手近にあったペン――彼女らしくない事にそれはピンクだった――で走り書きがされているだけだった。
 一枚には明らかに日本語ではない言語が並び(ちなみにこれは英語でもなかった)、もう一枚には歪んだ五線譜と幾つかの音譜が書き込まれていた(試しに音階を追ってみたがろくに音楽にならなかった)。
 そして最後の一枚は―――といいたい所だが、何とも面白くない事に最後の一枚は何かが書きこまれている様子はなかった。
 元々印刷されていた連絡事項が斜めに分断され、中途半端な情報だけが僅かに読み取れただけ。
 ピンク色のペンはその中の一文にアンダーラインを引く為に用いられており、しかし僕はその一文がどんな文章だったか全く覚えていないのだ。
 ルーズリーフの方は、それよりは幾分まともな手紙の形態をしていた。
 罫線の最上段に僕の名前が書かれ、その二行下から始まった本文はメモとは違い、此方はちゃんと黒のボールペンで書かれていた。
 内容は別段変わった事が書いてあったわけではない。
 突然の手紙について詫び、近況を社交辞令程度に語り、社交辞令的に「また機会があったら会いたい」などという、本当に当たり障りのない事ばかりが綴られていた。
 僕はそれらを飽きるほどに繰り返し読んだ。
 しかし今になっても、本当に彼女が伝えたかった事が何なのか、はっきりとは判っていない。
 きっとルーズリーフの方の手紙には何の意味もなかったのだ。
 彼女が僕に送りたかったのはきっと切れ端のメモだけで、それ以外の事なんてきっとどうだってよかったはずだ。
 僕の知らない言語も、歪んだ五線譜も。
 何らかの事実を代弁し、けれど結局僕がそれを拾い上げられなかっただけなのだ。
 今や彼女の手紙は、空色の封筒だけを残して処分してしまった。
 そうするように、と書かれていたわけではない。ただそうしなければならないような気がしただけだ。
 思えば、あの日雪が降っていたのは何かの暗示だったのかも知れない。
 喪失にも似た何かが静かに胸の辺りに凝って、そのたびに僕はあの、歪んだ五線譜の旋律を思い出す。
 あの頃、彼女が一体何を思っていたのか、僕には知る由もない。
 以前はあれほど鮮明だった過去も手紙の内容も、もう刹那に明滅する程度の印象でしか残っていない。
 あれはきっとそういうものだったのだ。
 例えばアンダーラインの引かれた文章が彼女の命日の日付を指していたとしても、やはりそれはただそれだけの事でしかないのだ。
 そして少なくともあの日以来――――僕の住む街では雪が降っていない。







(002.明滅)




何でこのお題でこうなったのか私にはわかりません(…)
普通にお題をお題として使うのが嫌だったのかも……うーん?