曖昧に響く、明確に想う。
ただ頑なに、譲れない何かを。










 ぎしり、とベッドが揺れる感覚でガイは目を覚ました。
 焦点も定まらないままゆっくりと身体を起こせば、上掛けの滑り落ちた剥き出しの肩が寒さに震える。
 カーテンの引かれた窓越しの外は未だ暗く、時間の感覚などはとうに曖昧なものとなっていたが恐らく夜半かそれを過ぎた頃だろう、とおおよその当たりをつけて室内を見渡す。
 隅に置かれた書き物机の上に、一つだけ小さな灯りがともっていた。
「………」
 ぼんやりとした思考は一向に纏まらず、取り敢えず寒さだけは明確に感じたので上掛けを肩まで引き上げる。
 もう一度眠ってしまえればそれが一番なのだろうが、中途半端に途切れた眠気はまだ暫く戻ってきそうにない。
 ガイは見るともなく灯りに視線をやる。
 ベッドの空いた半分はもう殆ど冷たくなっていた。
「……ジェイド」
「呼びましたか?」
 意識せずに口から零れた言葉に声が返る。
 素早く入口の方に目をやれば、丁度ジェイドが後ろ手にドアを閉める所だった。
 何てタイミングの悪い、とガイは内心で毒づく。
 夜を怖がる子供のような自分。
 ほんの少し不安だったのは、事実なのだけれど。
「…何処行ってたんだよ」
「すみません。もっと早く戻るつもりだったのですが、」
「何処行ってたんだって訊いてるんだよ!」
「…湯の支度を。使いますか?」
 思わず声を荒らげて問えば、普段と変わらぬ冷静な声で返される。
 光源の乏しい室内では互いの顔も満足に見えない。
 見えなくてよかった。





  きっと酷い顔をしている。
  小さな不安と必要ない不満を、意味もなくぶつけてしまいそうになる。





「…ガイ?」
「あ……あァ、悪い。……使わせてもらうよ」
 半ば上の空でそう答え、先刻肩まで引き上げた上掛けをそのまま適当に身体に巻きつけてベッドから降りる。
 身体を動かすたびに全身に走る疼痛は極力無視をして、ガイはゆっくりとドアに向けて歩みを進めた。
 ジェイドはドアの前から動こうとしない。
「…通りたいんだが」
「………失礼。どうぞ」
 不自然な間を置いてから、ジェイドは大仰な動作でドアを開ける。
 そうして漸くドアの前から離れ、今しがたまでガイが眠っていたベッドのシーツに手を掛けた。
 薄明かりの中に影が揺れる。
「……ジェ、」
「ああそうだ、あとで着替えを持って行きますね」
「……あァ」
 まるで呼びかけを押し潰すように重なってきた声に、ガイは溜息を交えて答える。
 そうしてそれ以上何を言う事もなく後ろ手にドアを閉め、ガイは寒い廊下を湯殿へと急いだ。







---

 磨り硝子の向こうには白い湯気が立ち込めていた。
 支度をしてきた、というジェイドの言葉に嘘はなく、湯船いっぱいに熱い湯が張られている。
 そっと手を入れてみれば指先にぴりっとした痛みが走る。
 思った以上に身体は冷えているようだ。
「……何だかな…」
 呟いて、手桶に汲んだ湯を頭からかぶる。
 ちりちりと痺れにも似た痛み。
 しかしそれも二回三回と繰り返すうちに心地良さに変わっていく。
 濡れて額に張り付いた髪を指で払う。
 ぴちゃん、と雫が真っすぐに落ちた。





  どうしてだろう。
  こんなにも、寒くてたまらないのは。





「……馬鹿馬鹿しい」
 脳裏をよぎった思考にストップをかけ、ガイは湯船に身体を沈める。
 俯かせた視線は溢れ出した水の流れを追い、緩やかな流れはただ一点を目指して行く。
 何処に辿り着くかも知らずに、ただ。







  例えばこんな風に、知らないふりをしていれば楽なのかも知れない。
  勿論、そんな事出来ないと判っているのだが。







「ガイ」
「……、」
 不意にかかる声にガイは無言を返す。
 硝子の向こうは別世界のようだ、などと思った。
「着替えを置いておきます。湯冷めしないように…」
「ジェイド」
 先刻とは逆に、ジェイドの言葉を押し潰すように言葉を重ねる。
 磨り硝子の向こうには曖昧な影。
 背を向けた格好のジェイドは逡巡し、結局振り向きはせずにそのまま背を硝子戸へ預けた。
「何ですか?」
「…判らない」
「……、ガイ?」
「アンタの事が、判らない」
 努めて冷たい口調でそう言い、ガイは掌に湯をすくい上げた。
 ぴちゃん、ぴちゃんと指の隙間から零れていく。
 湯気に煙る浴室はそんな些細な音も響かせる。
「…では、一つ訊いてもいいですか?」
 硝子を隔てた問いに、ガイは肯定の意を沈黙でもって返した。
 ジェイドは腕を組み、目を閉じる。
 ぴちゃん、と水音がした。
「率直な所…あなたは、私を抱きたいと思いますか?」
「…は?」
「ですから、あなたは私を抱きたいですか?」
「……どういう、」
 意味だ、と。
 問おうとした声は結局、吐息だけの反響と消えた。
 例えば抱きたいと答えたとしたら、ジェイドはどうするのだろうか。
 大人しく抱かれてくれるのか、或いは馬鹿な事をと一笑に付すつもりなのか。
 そうしてガイは硝子戸に目をやり、ジェイドの後姿をじっと見つめる。
 判らない。
 何を考えているのか、判らない。
「…判らない」
「そう、ですか。…つまりそういう事ですよ」
「……アンタもなのか?」
「…そうかも知れません」










  時々考える。
  どうしてここでこうしているのだろう、と。
  どちらかが拒めば終わる不安定な関係。
  例えばそれが明日であっても百年先であっても、終わりの形はきっと変わらない。
  それなのに、今ここにいるのは何故だろう、と。
  眠る横顔。
  冷たいベッド。
  どれだけ言葉を尽くしても、この感情を伝える事は出来ないというのに。










「…なら、そういうものなのかも知れないな」
 ぽつり、と呟いた声は妙に大きな音となって浴室に響いた。
「悪い、変な事言った」
「いえ……もう、いいんですか?」
「ああ…旦那こそ」
 問い返すガイの声に、ジェイドは珍しく何も答えない。
 脆い硝子に背を預けたまま視線を宙に彷徨わせ、ガイに気取られないように小さく溜息を零した。





  いっそ責めてくれたらいいのに。
  或いは、泣いてくれたら。





(…馬鹿馬鹿しい)
 身勝手な思いは緩く首を振って打ち消し、ジェイドは硝子戸から背を離す。
 それに気付いたのかばしゃん、と湯を揺らしたガイを、コツコツと硝子を叩く事で諌め、微笑った。
「私は部屋に戻っています。しっかりあたたまってきて下さい」
 それだけ言って足早に去っていくジェイドの気配を追い、それが途切れた所でガイは立ち上がりかけていた身体を再び湯船に沈めた。
 右手を強く水面に叩き付ければ高く跳ねた湯がまた髪を濡らす。
 滴る雫は、何処か涙によく似ていた。
















(永久凍土)


長い……; 新聞の見出しを見てインスピレーション。そろそろ救いようがなくなってきた気がする(ぇー)
我ながら何ともコメントし難いのですが、文章の薄っぺらさ以外はお気に入りだったりします(…)
お互いにあんまりにも大人だから、にっちもさっちも身動きが出来なくなっている。
ジェイガイなんだけど、ジェイ→→→←←←ガイぐらいな距離感と感情。…わけわかりませんね、ハイ;