過ぎ去った日に置き去りにした何か。 感傷や感情、願いでさえも。 嘘のように空は青く晴れ、けれど色濃い湿気を含んだ空気が重く纏わるように凝っていた。 ここ数日というもの不安定な気候が続き、次の街への距離を考えた結果一行は普段より長い滞在を強いられている。 遠く西の空には黒く低い雨雲が迫り、恐らく数刻後には雷雨になるだろう、とジェイドは思う。 降るのなら降ればいい、と思うものの、それでもやはり足止めをされるというのは面白くない。 それでなくとも、雨の日は気が滅入る。 脳裏をよぎっては消えていく、それは例えるなら遠く過ぎ去った日の残骸のようなもの。 雨の降らない街を出て、次に腰を据えたのが雪の降らない街だったのは、きっとただの偶然なのだろう。 (そういえば…あの街も、) 遠い昔に青い空を手離した街。 監視者の街と呼ばれ、始祖の名を冠す魔界の街。 ユリアシティは不思議な街だ、と思う。 生きる人々も、そのあり方も。 (持てる者…それでなければ知っているものの傲慢ですかね…) 空が青い。それはあの街にあっては、常識ではなく知識の範疇。 ソファに座って本に目を落としているティアを見やる。 移ろわない色彩、或いは季節。 停滞した日々は、一体何を思わせるのか。 …やはり、雨の日は駄目だ。 つまらない感傷ばかりが降り積もっていく。 「あなたは今、何を思っていますか?」 「…唐突すぎて意味が判りません」 「言葉通りです。足りない部分は愛でカバーして下さい」 「…大佐こそ、一体何を思ってそんな事を言うんですか?」 「さァ…忘れたはずの感傷と新しい感情がせめぎあっていまして」 「大佐が、ですか?」 驚いたように振り返るティアに、ジェイドは静かな笑みを返す。 肯定とも否定とも取れるあやふやな表情。 けれどいつもとは違う。漠然とティアはそう思った。 「…大佐?」 「愛情と狂気は紙一重だというのは御存知ですか?」 「え、」 「冗談です」 「……大佐が言うと冗談に聞こえません」 「おやおや」 心外だ、とでもいうようにジェイドは首を振り、わざとらしく額に手を当てる。 結局いつもこうなるのだ。 言いくるめられるというか、丸め込まれるというか。 ジェイドの言葉の真意など判らなくとも、表層だけをなぞっていれば或いはこの人を理解出来るのではないか、と昨今ティアは思い始めていた。 正しさは時に人を遠ざける。 弊害さえ厭わなければ、そうして生きていくのもまた可能なのであろう。 是非は別として、けれどティアはそうありたいとは思わない。 過去があり、現在があり、未来があるとして。 過ぎ去れば絶対となるもの――たとえば記憶だとか感傷だとか――さえも、価値が見出せなければそれはただそこに"ある"だけのものなのだ。 終わってしまった事はこの手の中にも沢山ある。 ただ、昇華しきれずに燻る思いもある。 けれどそう言った所で、判ってはくれるだろうが理解はしてもらえないだろう、と思うのもまた事実。 手に持った本を置いて、身体ごとジェイドの方に向き直る。 価値観の相違、というのではない。 彼は、何かが欠けたまま大人になってしまったのだ。 「…大佐、私は、」 「ティア?」 「……私は、」 続く言葉がなかなか見つからず、ティアは何か言いかけては曖昧に言いよどむ。 理解が欲しいわけではない、ただ知って欲しいのだ。 出来るのなら、もっともっと近く。 「…私は……その、」 「………、」 「わ、私は、きっとあなたが思っている以上に…大佐の事が好きです」 「……どういう、風の吹き回しですか?」 「言わなければならない気がしたんです。今、この瞬間に」 ティアの言葉を受け、頷くでも否定するでもなくジェイドはそっと手を伸ばしてティアを抱き締める。 縋るにも似た緩い拘束。 ティアはジェイドの胸に額を当てた。 「大人をからかうとあとで痛い目を見ますよ」 「そうでしょうか?」 「…ティア、私だって一般的な成人男性ですよ」 「私は大佐の事が好きです」 「私もあなたの事が好きですよ、ティア」 抱き締める腕に僅かに力が籠もり、ティアもそれに応えるようにジェイドの服を軽く掴んだ。 外には降り出した雨の気配。 例えばここで何か言ったとして、それを理解するしないはもう問題ではないのだろう、と思う。 感傷や感情さえもいつか、置き忘れて過ぎ去ってしまう日が来るのだろう。 この日が思い出になってしまっても構わない。 ただ、そこに嘘を残したくないと願いながら。 「…触れてもいいのですか?」 「今更、では?」 「……フフ、それもそうですね」 互いに口ではそう言いながら、そんな事はありえないのだと判っている。 速まる事もなく一定を保つジェイドの心音に耳を傾けながら、根拠もなくティアはそう思った。 どうして欲しいのだろう。どうしたいのだろう。 判らない。 どうしたって、判りようなどないのだ。 (でも……いつか、) それさえも嘘になってしまうのだろうか。 過ごしてきたこれまでの違いを思い、過ごせるであろうこれからの遠からぬ事を願う。 やがて雨は音を立てて降りしきる。 濁った空が、代わりに泣いてくれているような気がした。 (Distance-close) ジェイド攻めを目指した所で、どういうわけかやっぱり弱いうちの大佐。…どうしたもんか(知らん) 今回ちょっとラブラブっぽく書けたとか思ってるんですけど…何かもう自分の尺度がおかしいのだと自覚し始めました; 抱き締めるとか抱き締められるとか、それはきっとキスをするより難しいんじゃないかなー…とか、そういう。 |