変わらないものがあるからこそ。 過ぎた日に馳せる想いはよりいとおしく。 時の流れは早いものだ。 ここしばらくというもの、ジェイドは事あるごとにそれを身につまされる思いだった。 時の流れは早い。或いは、人生何が起こるか判らない。 グランコクマの中心部からやや離れた郊外に位置する決して大きいとはいえない屋敷の一室。 書斎とは名ばかりの実験室と化している部屋のソファに座り、ジェイドは真新しい白いカップを傾けた。 冷え切った珈琲が咽喉を滑り、苦味とも酸味ともつかない味が口内に残る。 元々冷たい珈琲と冷めた珈琲はどうしてこうも味が違うのだろう、などと、よく判らない疑問が頭をよぎったが無視する事にした。 空になったカップをローテーブルに戻そうとした所で思い留まり、カップを持ったままソファから立ち上がる。 何に使うのかいまいちはっきりしない雑多なものが散らばる室内を悠々と横切り、防音にも優れた重い扉を片手で開けて廊下へ出て、階段へ。 そう来客が多いわけでもないのに部屋ばかりあっても仕方ない、と思う。 それは一人で暮らしていた頃も今も変わらない。 「……やはり歳ですかねェ…」 らしくない感傷に溜息混じりにそう呟き、リビングを横切ってキッチンを覗き込む。 ポットに珈琲が残っているのを確認して火にかける。 その間に自分のカップを軽く水ですすぎ、食器棚から同じデザインの一回り小さいカップを取り出した。 先刻通りすぎたリビングには誰もいなかった。しかしキッチンにも、シチュー鍋がとろ火で火にかかっている以外誰もいない。 「…珍しいですね…」 ポットとシチュー鍋を交互に確認しながら、時々ジェイドはリビングへ視線をやる。 買い物に行くなら火を切っていくだろうし、掃除にしては物音がしない。 リビングで眠り込んでいた、という事も以前あったが、今日はそうではないようだ。 あたたまった珈琲を並べておいた二つのカップにそそぐ。 小さい方のカップにはミルクと砂糖を少しずつ入れ、くるくるとかき回せばミルクが緩やかに渦を巻いた。 「それにしても、一体何処に行ってしまったんでしょう?」 呟いて、自分用のカップに口をつける。 先刻とは違い、確かな苦味が熱を伴って心地よく咽喉を過ぎた。 やはり屋敷が広いというのも考えものだ。 目を閉じて、試しに耳を澄ましてみる。 静寂に自分の呼吸音が耳を打つ。 「…おや」 ガチャ、バタン、と何処からか音がした。 それに続くパタパタという音から、恐らく二階の客室のどれかだろう、とジェイドは当たりをつける。 足音はどんどん近くなり、ガン、という何かにぶつかったような音を挟んでやがて止まった。 ひょい、とキッチンから顔を出す。 リビングには、エプロンの紐を結びなおしているティアがいた。 「あ…」 「二階にいたんですか?」 「ご、ごめんなさい…」 「あァ、いえ、怒っているわけではないんですよ」 「そう…ですか? でも…」 「気にしなくていいですよ、私も籠もりっぱなしでしたし。珈琲は如何ですか?」 ほんの一瞬の躊躇いを見せ、頂きます、と言いながらティアはジェイドの差し出したカップを手に取る。 両手で包むように持ち、香りを楽しむように目を細めるとゆっくり口をつけた。 その所作も変わらない、とジェイドは思う。 そうして同じようにカップを口に運べば、同じようにティアが自分の所作を見ている事に気がついた。 何て変わらない。 「どうかしましたか?」 「懐かしいな、と思ったんです」 「旅をしていた頃が、ですか?」 「はい」 「…確かに、懐かしいですね」 駆け抜けるように日々は過ぎた。 ティアは成人の儀を終えたし、自分だってもう四十に手が届いた。 こうして暮らすようになったのもつい最近の事だ。 あの頃はこんな事になるなんて想像もしなかった。 まさか。 「手紙が来たんです」 「誰から?」 「アニスです。その、ナタリアから私達の事を聞いたらしくて……式はやらないのか、と…」 「今更ですねェ…もっと耳聡いと思っていましたが」 「それで、返事をどうしようかと考えていたのですが…」 どうしたらいいと思いますか? 言外の問いを含ませたティアの言葉に、ジェイドはカップを置いて思案げに腕を組む。 アニスの事だ。きっと何を言った所で押しかけてくるに違いない。 「…どうせならここでパーティーでも開きましょうか」 「え?」 「あの旅の仲間だけを集めて…そうですね、披露宴も兼ねて」 「ひっ、披露宴…!?」 「お嫌ですか?」 「で、でも…今更そんな…」 「フフ、ではその話はまた追々、という事にして…ティア」 「は、はい」 相変わらずマイペースに会話を運ぶジェイドに、ティアは反射的に返事をする。 やっぱり変わらない、と思う。 でもどうせなら変わらないで欲しい、と願う。 「ティア、取り敢えず、キッチンを離れる時はせめて火を切って下さい」 「あ…すみません…たい、」 ティアの言葉を制するように、ジェイドはそっとその指をティアの唇に当てる。 「もう“大佐”ではないでしょう?」 悪戯っぽく片目を瞑ってそう言えば、見る間にティアの頬が赤く染まる。 居心地悪そうに視線を彷徨わせ、そっと窺うようにジェイドの方を見れば何とも言えず楽しそうな紅とかち合った。 本当に何年経っても変わらない、と思う。 そして、自分がこの人の笑顔に弱いのも。 「ティア、呼んで下さい」 「あ、えと、えっと……、…ジェイド……」 「…フフ、有難う御座います。早く慣れて下さいね、ティア」 楽しそうに一つ笑みを零し、先刻唇に当てた手をするりと頬に滑らせるとジェイドはティアに掠めるようなキスをした。 (Judicial Tact.....whereabouts) ティアに“ジェイド”って呼ばせたかっただけの新婚話です、はい(白状) 物凄くすらすら書けました。楽しくて仕方ありませんでした(おい!) |