夏は嫌いだ。正確には、夏の日を生きる街や人の姿が。見知ったはずのそれらが、どうしてかひどくよそよそしく、まるでまったくの他人のように流れていくような錯覚。茫洋とした世界の中で、奇妙なまでに冴え冴えとした意識を抱えてさまよっているような錯覚。夏の日は何もかもがあいまいな姿をしている。だから、夏は嫌いだ。
 少し前(確かあれはひとつ前の夏の終わりだった)、あいつにこの話をしたことがある。残暑の厳しい日だった。終わりゆく季節を惜しむように暑気は街に凝り、けれど、必死に声を上げる蝉の鳴き声は真夏のそれとは違うものになっていた。覚えているのはそんなことばかりで、肝心のあいつの反応は、どうしても思い出せない。(そういえば俺はあいつの好きな季節を知らない。)
 夏の思い出は、何もかもあいまいな断片としてしか残らない。嬉しかったことも楽しかったことも、哀しかったことも苦しかったことも、ほとんどはっきりと思い出すことができない。ただ、ひどく寝苦しい熱帯夜に見た夢は、不思議と今でも鮮明に覚えている。夢の中で、俺は必ず近しい誰かの死を見た。だから、夢を見続ければ、いつか、俺自身の死を見ることができるのではないかと夢見た。
 連絡は、いつしか途絶えて久しい。そうこうしているうちに夏の足音はひたひたと近づき、俺はまた、誰かの死を夢に見るようになる。そこにあいつはいるだろうか。俺は、あいつの死を見ることができるだろうか。
 俺の知る夏の日は、様々な死を内包してなお凛としてそこにある。その絶対性は、時にあらゆるあいまいさを許し、時にあらゆる厳格さを咎めた。ひとつ前の夏の終わり、あいつが何と言ったか、俺は覚えていない。(だってあの夏の日はそれを許した。)茫洋とした夏の日にあって、醒めない夢と信じたのは唯一それだけだった。
 俺とあいつのあり方が、正しく恋だとか愛だとかであると信じることは決してできなくて、ただ、明確な終わりをつきつけられることを強く望みながらも怖れている。醒めない夢、終わらない物語、鳴りやまないサイレン。そんなものはありえないと知りながらも望み続ける俺を、あいつはいつだって残酷なまでの優しさで許した。(俺は許されてばっかりだ。)(俺はあいつのことを何も知らないのに。)
 いつか感じた距離が今更のように胸に迫った。きっといつか来る終わりの瞬間が、ほんの少しでも(その場限りの嘘でもいいから)正しい形に似ていればいいと思った。






(そして死んでいく夏の日)
It is sad dream, but it is not bad dream




全編通してのテーマは夏と夢。相変わらずどうもこうも薄暗い…。
二次創作なのかそうじゃないのかだんだん自分でもわからなくなってきていますが、
漠然としたイメージはあれどやっぱりこれはオリジナルという位置においておくのがいいような気がします。
可哀想なくらい孤独な彼らです。