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 子供の頃、あるいは、もっと若かった(いっそ幼かったまでの)頃、わからないこと、理解できないことがあるたびに、早くもっと大人になりたい、と、思っていた。大人になればきっと、わからないことも理解できないこともなくなって、哀しいことやつらいことにも、もっと上手に折り合いをつけられるようになると信じていた。
 けれど、実際には全然そんなことはなくて、むしろ、大人になってからのほうが、わからないことや理解できないことというのは多くなったような気がする。
 ずっと昔、この手に余るほどの何かを必死で守ろうとしていたあの頃。あの頃のほうが、今よりはるかに多くのものをうしなったはずなのに、なぜか、その頃感じたはずの痛みを正しく思い出すことができない。今でもこの手は何かを守ろうとしているけれど、きっとこの手は何かを守るにはもう弱すぎる。否、脆すぎるのだ。
 思えば、早く大人になりたい、と、そう思っていた頃が一番痛みに敏感だった。喪失の痛みも、忘却の痛みも、自分の痛みも他人の痛みも、ほとんど等しく目に見えない傷でもってじくじくと痛み続けた。だから、早く大人になりたいと思った。そうすれば、いつか傷は癒えると信じていた。
 子供は大人になることを夢見られるけれど、大人はそれ以上の何かになることはできない。子供の頃、無邪気なまでに信じていた大人の絶対性は、自分が大人に(少なくとも大人というカテゴリにくくられるまでに)なって初めてその脆弱さを見せた。まるで、うしなって初めて、大切なものの存在に気づくように。






(もう戻れない5のお題/04.その手をすり抜けたのは)
loss, pain, and me.