奇跡の欠片。
遥かに光る、道標。










 落ちる陽と反比例して、水晶はその明度を上げて瞬いた。
 がさがさと足元の草は音を立て、やや冷たくなった宵の風が頬を撫でて過ぎる。
 季節は夏、今日は七夕だ。



  一年、三百六十五日。
  思い続けて恋焦がれて、ようやく訪れる刹那の邂逅。



「淋しいわ」
「何が?」
「また会えなくなる。また、指折り数えるんだわ」
「かごめちゃん…」
 躊躇いがちに伸ばした手で触れたかごめの肩は酷く冷たくて、思わず抱き寄せようとした手をカジカはぎゅっと握り締めた。
「会えないなんて淋しい。…それに、そんなのは、嫌よ」



  この手をすり抜けて、
  大切なものはいつも零れ落ちていく。



「…カジカさんは、」
「ん?」
「蝶を空へ還す事、淋しくない?」
 問いかけながら、かごめは空の鳥籠の入り口を開けた。
 これまでも、これからも、きっと空のままであろう鳥籠。
 そう、と手を入れ、見えない鳥を外へと導き出す。
「戻ってこないでしょう?」
 もう二度と、と。
 見えない鳥を空へ放ってかごめは呟いた。
 ざわり、と草が波立つ。
 それに伴って再び頬を撫でた冷たい風に、今度こそカジカはかごめの肩を抱き寄せた。
 傍らには空の鳥籠。それは束の間の束縛と不自由の檻。
「…あ、ほら。見て」
 そういってカジカは自らが持つ竿の先の水晶を手に取る。
 柔らかい光が緩やかに明滅する様は、何となく生命の鼓動に似ていた。
「…生きているの?」
「うん。これは、蝶の蛹」
「こんなの、見たことないわ」
「…そっか、そうだろうね……あ、ほら、もうすぐ」
 言い終わらないうちに水晶に亀裂が走り、僅かに明滅の速度が増す。
 カジカは水晶を持つのとは逆の手でかごめの手をとり、そっと手を重ね合わせるように水晶に添えさせた。
 ピシ、とまた一本亀裂が走る。
「孵るよ、…見ててあげて」
「……」
 走った亀裂は網目の如くどんどん広がり、その隙間からは明滅に合わせて光が零れる。
 あたたかい。
 あたたかい。
 それはきっと、生きている証。
「あ……」
 パキン、と響いた音は硬質。
 途端溢れ出すのは目も眩むような光。
 二人の手の中で水晶は砕け散り、内部からの光を反射してそれはきらきらと煌めいた。



  ――― そして。



「…綺麗……これが、あなたの蝶々?」
 現れたのは透き通るような薄い羽の蝶。
 羽ばたく度にきらきらと光を零し、いささか頼りなさげではあるが確かにそれは生きていた。
「僕のものじゃ、ない。…僕はただ、見届けるだけ」
「…見届ける?」
 何を、と。
 言外に問うようにかごめは小さく首を傾げ、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる。
 手の中では蝶が懸命に羽を羽ばたかせ、零れる光はすぐに闇に溶けた。
「……そうか、今日は…」
 ぽつりとそう呟くと、カジカはその両手をかごめの手を包むように添え、小さく微笑んだ。
 そうしてそのまま僅かに上体を傾け、そっと蝶に顔を寄せた。
「飛べるかい? ………そう。それなら、大丈夫」
「…カジカさん?」
「還してあげて」
「え?」
「その子を、空へ。さっき君が、鳥を空へ放ったみたいに」
 還してあげて、と。
 そう言ってカジカはかごめの手を離した。



  束縛の檻、籠はない。
  綺麗な生命は余りにも儚い。
  それでも、この空は広くて広くて。



「…淋しくないの?」
「淋しいよ」
「…それなら…どうして、」
 蝶が羽ばたく度に光が舞い、互いの顔の陰影が揺れる。
 掬うように両手で蝶を受け、じっと身じろぎもせずそれを見つめるかごめは何処か泣きそうだった。
「きっと…もう会えない。空はこんなにも広くて、私は…私達は、こんなにも小さいのだから」
 ぽつり、ぽつり。
 震える声で呟かれるのは惜別にも似た。
 世界は広くて、空は遠くそして高い。
 遥かに星が瞬く。
 いつしか闇に染まった空に、眩く光るは一番星。
「でも、出逢えた」
 そう、と再びかごめの両の手を包んで。
「こんなに広い世界で、こんなにもちっぽけな僕は、たった一人、君に出逢えた」
 ぽつり、ぽつり。
 優しい声で呟かれるのは愛しさにも似た。
 生命は儚く、そして余りにも小さい。
 それでも、"出逢える"奇跡は確かにあって。
「出逢えるのが奇跡なら、再会だって奇跡だよ。信じていれば会える。織姫と彦星だって、そう」
「織姫と……あ…」
「七夕は奇跡だって。だから、きっと、大丈夫」
 だから、と。
 再びかごめの手を離してカジカは微笑む。
 離れてしまったぬくもりを少し名残惜しく感じながら、かごめは改めて手の中の蝶を見つめた。
 余りにも儚い綺麗な生命。
 これまでもこれからも、彼はそれを手放し、そして見届け見送るのだ、と。
「カジカさんは、優しい」
「え?」
「それに、ちゃんと道を示してくれる。だからきっと、この子も迷わず行けるはずよ」
「かごめちゃん、」
――― 見ていて」
 すっとその場に立ち上がったかごめの髪を、スカートを、夜の風が撫ぜて過ぎる。
 夜闇よりもなお暗いその黒色。
 その頭上には、標が如き一番星。
「大丈夫。…だから、」





  ――――― いきなさい。





 勢いよく両手を空へと伸ばす。
 先刻鳥を放ったよりも高く、いっそ星まで届くように、と。
 羽ばたきは空へ、零れるは光。
 いきなさい。
 いきなさい。
 今日は、奇跡だって起こるのだから。
「…いきなさい……私達が、見送ってあげるから」
 蝶は自らの力で懸命に舞い上がる。
 もう届かない、こんなにも遠い。
 それでも、あの美しくも儚い生命は確かにここにいた。
「きっとあの子もいつか誰かと出逢う。…僕らが出逢ったみたいに、いつか」
「カジカさん」
「うん」
「奇跡を信じたら、また会える?」
「きっと」
「旅へ?」
「うん。見届けて、見送らないと」
「……まってる」
「……うん」
 手を伸ばし、カジカはかごめの手を掴んで引き寄せる。
 そうして半ば倒れこむようにして抱きついてくるかごめを受け止め、その細く冷たい身体を抱き締めた。
 かしゃん、と音を立てて鳥籠が倒れる。
 その中に鳥はいない。
「かえってくる」
「…まってる」





  今日は再会の奇跡の日。
  行く先を示す、星に願いを。
















(サヨナラの一番星)


七夕記念(?)小説。意味が判らない上にオチがないのはいつものこと。