見えないことは幸いだ。(いつだったか、誰かがそう言っていた)(ような気がする)。
 その痛みの尺度さえ別にすれば、知らずに済ませてしまいたい現実というのは確かにある。それを良しと出来るかはおそらく別の問題で、真っ当に捉える限りそれは単なる事実であり、ただそこにあるだけのものなのだ。
 一言で「夢」と言ってもその形が千差万別であるように、同じものを見ていても感じ方は人それぞれだ。凪いだ海を怖いと思うも美しいと思うも、結局当人次第であり、第三者がどうこう言っても何ら意味などない。
 だから、俺たちは夢を見る。何者にも侵されない確かな夢を、自分ひとりの中で静かに飼い続ける。叶っても叶わなくてもどっちでもいい。ただ、静かに見続けられる夢がそこにあれば。
 (言うなれば、それは夢を見続けることを夢見ることに似ている)(あるいは、)(何を差し置いても叶わずにいて欲しい、触れられたくない願望のような)
 (―――――幸せになりたい、とか、)(でも、)
 幸せ、と、そんな自分の考えに知らず少し笑った。今更だと思った。
 幸福が必ずしもプラスでないのは、そこに付随するある種のマイナスをも思ってしまうからかも知れない。それはつまり、無条件の幸いなんてものはありえない以上、例えばここにある幸福に相当するだけの不幸が、誰とも知れない他人の上に降りかかっているという可能性だとか、これまでに得た幸福の分だけ、積み重なった不幸がいつかの未来に訪れる(なんてそんな極めて悲観的な)(けれど不思議と現実的な)可能性だ。
 そういうどうしようもないことを考えてしまうのは多分、今この瞬間が得難く幸福で、またそれが驚くほど脆いものであることを、誰に教えられたわけでもなく俺は無意識に知っているからだと思う。
 例えば、あいつに好きだということは酷く容易かったけれど、それはやっぱりそれだけのことだった。俺たちは多分間違いなくお互いのことが好き(全く同様にか、と問われればそれは否であるけれど)なのに、その形は決して正しいものではないのだ。そして更に不幸なことに、俺たちはそれぞれにそれぞれの形でその事実を知っていた。だから今更離れることも、今更正しく何かを伝えることも出来ずにいる。
 俺たちは、馬鹿みたいに飽くことなく互いに好きだと言い、同じくらい嫌いだと罵り合った。それもまた容易いことであったし、また酷く怖いことでもあったし、また妙に安心出来ることでもあった。これはとても消極的な依存で、同時にとても積極的な拒絶なのだと思う。
 見えないことは(多分)幸いだ。見えないのなら信じずに済むことだってある。
 だって、正しいことが何か、と問われたらきっと答えられない。
 俺にとっての正しさとあいつにとっての正しさが違うように、世界にとっての正しさはきっと、俺にとっての不幸に極めて近い形をしている。(そうだったらいい、と、思う。)
 幸せになりたいのだ。多分、誰しも。
 始まりを求めてみればそれは驚くほど単純で、けれどその形が異なるが故に、人は傷つけあうのだろう。他者を排してまで掴んだ幸福は、果たしてどれほどの価値を持つのか。結局他人である俺には、想像することさえいつだって叶わない。
 ただ、幸福のために他者をどうこうしようと到底思えないのは、それが自分にとって正しく幸福ではないことを漠然と知っているからだ。それは例えるなら、何かと引き換えに夢を現実に引き摺り下ろしてもらう姿に似ている。愚かだと言うことは容易いけれど、あるいはそれすらもエゴなのかも知れない。
 (だって全ての人が等しく夢を叶えられるわけではないのだから)
 (そう、自分だって例外ではなく)
 いつか必ず道は分かれ、俺はあいつの後ろ姿を探すことすら叶わなくなる日が来る。それは出会ったときからわかっていたことで。どう足掻いても変えられない、変えようと思うことそのものがおこがましいまでの確定の未来だ。
 だから、もしもあいつが(どのような形であれ)何かを差し置いて俺を選ぶなんてことがあったら、俺は正しくあいつを拒絶しなければならない。それが世界にとっての正しさで、俺にとっての不幸の形だ。(あいつにとってはどうなのだろう。)(知らない。そんなこと、知りたくもない。)
 見えないことは幸いだ。(今ならわかる。それはまさしくその通りだ。)
 終わりの瞬間が決まっているのだとして、けれどその訪れは穏やかであって欲しいと思うのは我侭だろうか。喪失は、望もうと望むまいといつか来る。いっそそれを嘆くことが出来れば、少しは楽になれるのだろうか。
(……けど、それがわかったときが終わりのときだ。)
(だからきっと今の俺は幸福だ。)
 全てを押さえ込むように、強引に自分にそう言い聞かせる。そうでもしないと泣いてしまいそうだった。










(366.夢追メトロノーム)
Chase a dream like a metronome.




オリジナルというか、何というか。実はこれ書き上げるのに一ヶ月近くかかってます。
二次のイメージがないわけではないのですが、それほどこだわりがあるわけでもなく。
いっそ清々しいまでに悲観的なこと考えてる人の一人称を書くのは楽しいです。きっと需要は特にないだろうけれど(苦笑)