真っ白い便箋に書かれた、“君”という文字を見るたび、ふと掠めるように彼女の声を思い出す。 数年来の、一応友人と呼べるであろう彼女は、余程気に入った人間以外は名前で呼ぼうとしなかった。 “君”と呼べば、間違いはない。 いつだったか、彼女は僕にそう言った。 (そう、確か哀しすぎると言ったのだ。 自分。 一握りの親しい人。 そして、それ以外。 そんなもので構成される彼女の世界が、 余りにも淋しいと僕は言ったのだ。) まるでよく出来た夢の中にいるような錯覚さえ覚えた。 否、ただそれは夢であって欲しいという、安っぽい幻想によるものだったのかも知れない。 いずれにせよ、彼女は一度だって僕の名前を呼んでくれた事などなかった。 要求する事もしない代わりに、僕は彼女に告げない道を選んだのだ。 (“君”は嘘が下手だね。 微笑んでそう言った君が、一体どう思っていたのか僕には判らない。 或いはそれが無言の要求に対する拒絶であったのならば、 それは明確な彼女の感情たりえたのだろう。) 取りとめもない思考を打ち切って、再び真っ白い便箋に目を落とす。 癖のない、まるでお手本をなぞったような綺麗な字は、まさしく彼女のそれ。 “君”と言うたびに彼女自身が傷ついていた事を知っている。 “君”と呼ばれるたび、僕が安堵していた事を彼女は知らない。 (それでいい。 ―――――それで、いいんだ。) 真っ白な便箋と、真っ白な封筒。 一見対に見えるそれらも、よく見れば全然違う種類のものである事が判る。 封筒の表面に施された、箔押しの花を指先でなぞる。 そこには差出人の名も宛名もなかった。 (010.宛名のない手紙) 手紙系のお題が多すぎてネタ切れ感満載。 “君”という呼び方は人によってはそりゃあもう嫌がられます。 |