手を繋ぎたい、と言われたので、いやだ、と答えた。そうしたら、じゃあ抱きしめていい、と問われたので、いいよ、と答えた。あいつはちょっと複雑な顔をしていた。
 抱きしめられるのは好きだ。けれど、手を繋ぐのは正直きらいだ。なぜか。それは俺にもわからない。ただ、他のどんなことを許すよりも、手を繋ぐことを許すことは難しかった。
 向かい合って立つ俺の左手を掠めて、あいつの右手が肩に触れる。もどかしいほどに優しい。そしてそれ以上にためらっている。こつん、とあいつの額が右肩に乗せられる。いつだってそうだ。
「抱きしめていいよ?」
「…できないのわかってて言ってるだろ」
「最初に訊いたのそっちじゃん」
「そうだけど、…けど、」
 言いながら腕を伝いおりるてのひらが、俺の手に触れる前に軽く振り払った。吐息だけであいつが笑う。代わり、とばかりに背を軽く叩くてのひらは無視してやった。
 少し考えてみる。たとえばもっと早く手を繋ぐことを許していたとしたら、もっと何かが変わっていただろうか。たとえば、付き合い始めの面映い気持ちがまだあった頃、一度でも手を繋ぐことを許していたとしたら、あいつはこんな風に俺を抱きしめなかっただろうか。
 肩に乗る重みは控えめだ。もっと寄りかかっていいよ、と、喉まで出かかったけれど俺は黙っていた。
「…どう、見えるんだろう」
「何が」
「俺ら」
「……見てみれば?」
「ヤだよ。…知りたくない」
 そんなのは俺だって知りたくない。そう言ってやる代わりに視線を左側に巡らせた。ふ、と女の人と目が合った。きっと同い年くらいの、学生らしき彼女は、目を逸らすでもなく小さく笑った。彼女の目は穏やかだ。何となく、いい友達になれる気がした。
 俺は彼女に笑い返す代わりに、肩に乗るあいつの頭に触れた。泣いている友人を慰めているように見えないことはわかっていた。
(中途半端にするなら、)
 いっそキスでもしてやろうかと思った。そうすれば、かつて掴みそこねた何かに手が届くだろうか、と思った。今更、あいつにとっての俺の存在についてなんて考えたくなかったし、それに正しく名前をつけることなんて望まない。ただ、たとえば見ず知らずの彼女のように、俺でもあいつでもない誰かに、穏やかに静かに、許しを与えて欲しかった。
 一度目を閉じて、そして彼女を見る。彼女はただ穏やかに笑んで、それでも少し哀しそうに見えた。
「…なァ、」
「何?」
「今日、泊まってっていい?」
「……何、いきなり」
「手、繋ぐ代わり」
 そう言ってやれば、あいつはまた吐息だけで笑って、そうして俺の背中を強く叩いた。痛い、と文句を言う前に肩にかかる重みが消えて、支えを失った俺の手は重力に従って落ちた。
「変なヤツ」
「お前も相当だよ」
 友達のような距離を保って、友人のように笑い合う。悪ふざけのように見えたならいい。そして伝わるべき人にだけ伝わればいい。
(真剣なんだ、息が、詰まるくらいに)
 酩酊に似た揺れとともに、あいつの手が差し伸べられる。俺はそれを無視して電車を下り、振り返った。俺とあいつを置いて走り去ろうとする車窓に彼女の姿を探す。彼女はまた少し笑って、俺に小さく手を振った。
「…知り合い?」
「さあ、人違いじゃない?」
「ふうん……手、繋いでいい?」
「ヤだよ」
 お決まりの会話をして、そうして伸びてきた手を今度は拒まなかった。けれどあいつの手は俺の手を取らず、しばし迷った末に俺の肩に乗った。
(…哀しくは、ないよ。ただ、ほんの少し苦しいだけで)
 心の中で呟いて、ちょっと困った顔をしたあいつの手を振り払う。家に帰ったらキスしてやろうと思った。










(Hey, I'm here. ....207.行き交う人の中に)



オリジナル。半年以上前に勢いで書いたものをサルベージ。
何のきっかけだったか、ピコンと情景が浮かんで本当に勢いのみで書けた稀有な文章。
幸福のかたち、想いのかたちはそれぞれで、それは自分自身のものであることは確かなんだけれど、時に誰かと共有したいとかただ理解して欲しいとか、そういう感情ってあるんじゃないかと思います。
……何かそんなことを思って書いたような、違ったような。